2015年2月21日 星期六

AKB的人生論——秋吉優花:「日行一善」(附譯文)

  這次朝日新聞的「AKB人生論」系列訪問秋吉優花,以「一日一善」(即中文的日行一善)作為座右銘,其背後的故事令我重新認識了她。

(原文連結: http://digital.asahi.com/articles/ASH2K5WV9H2KUCVL01Y.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH2K5WV9H2KUCVL01Y )










*如翻譯有嚴重出錯請在留言提醒一下,謝!

小学5年生の時に一家でソフトバンクホークスの宮崎キャンプを見に行くと、近くでHKT48の1期生がライブをしていました。みんな元気で明るい笑顔を届けていました。ファンの人も楽しそう。そんな雰囲気をすてきに思い、HKT48の2期生オーディションに応募しました。
( 小學五年級的時候一家去了宮崎看軟銀鷹隊的春訓,那時候近距離看到HKT48一期生的現場表演。大家都很精神活潑地散發笑容,粉絲們也很開心,我很喜歡這樣的氛圍,所以就去應徵HKT48的二期生甄選了。)

 アピールポイントを質問された2次審査。私は「夢は女優さんになることです」と伝えたかったのですが、緊張して言えませんでした。近所の子供会でドッジボールのキャプテンをしていたことは言えたんですけど……。悔しくて涙がこぼれてきました。会場にはたくさんの人がいたので、声を出さないように静かに泣いていました。会場を出て帰りの車に乗るときも泣いていました。その姿を、後で同期生になる富吉明日香ちゃんが隣の車から見ていて、「泣いている子」と覚えられました。 
(在第二輪審查被問到魅力所在,本來打算說「夢想是成為女演員」,最後因為太緊張而開不了口,只說了「曾經當過閃避球的隊長」....。當時感到很不甘心,一個人靜靜地哭了,直至審查結束坐上回程的車時也哭個不停。後來成為同期生的冨吉明日香從旁邊的車看到這一幕,因此對我抱有愛哭鬼的印象。)

 最終審査では、歌とダンス審査がありました。最初に先生のダンスを覚えて、その後、実践する形式でしたが、経験がなくて覚えられませんでした。受験生3人で1組でしたが、3人とも動きが止まってしまって。結局、先生が前で一緒に踊ってくれ、それを見ながら踊りました。歌審査の課題曲は「GIVE ME FIVE!」。審査員席には秋元康先生がいたのでますます緊張。歌い出しの「GIVE ME FIVE!」の歌詞を飛ばしてしまいました。終わるとまた涙が出て、止めよう止めようとしても止まりませんでした。だけど、合格できたので、信じられない気持ちでした。 
(最終審查是歌舞審查,一開始要記住老師的舞步,然後再表演一次,但我沒有跳舞的經驗,完全記不著。 形式是3人一組,我們卻3個都做不到,最後變成跟著老師的動作一起跳。當時的審查曲是 ♪Give me five! , 看到秋元康老師也在席上便漸覺緊張,連最重要的歌詞「Give me five!」都忘記唱出來,所以審查一結束就淚流不止了。儘管如此,我還是能夠以不可思議的心情去接受合格的事實。)

 その日に私と母とスタッフの方との面談がありました。「サルおばさん」というスタッフさんが、私が泣いている姿を見ていたのか、「やることをやってから泣いたほうがいいよ」とアドバイスを下さいました。その言葉を意識してから、以前より泣かなくなりました。2期生は私が一番年下。人見知りな私は、メンバーたちにどのように接すればいいかわかりませんでした。最初はレッスン場の端っこでひとりでお弁当 を食べていましたが、りこぴ(坂口理子)が「一緒に食べよ」と声をかけてくれて、それからはみんなで円になって食べるようになりました。 
(合格當天我跟母親跟一位叫作「猴子婆婆」的工作人員會面,她也看到我哭狀,便提醒我「應為已做到的事情而流淚」 。我一直對此銘記於心,至今已不再愛哭了。我是二期生之中最年少的一位,由於害羞的性格,初時不懂得跟其他成員溝通,吃飯的時候也是瑟縮在練習場的一角,直到某天坂口理子主動來邀請我,才可以跟大家一起吃飯。)

 2期生はいい意味でバチバチ火花を散らしていて、レッスンの時も競い合いながら練習していたので、みんなで成長することができました。3期生がのなこ(矢吹奈子)・みく(田中美久)が入ってきてお姉ちゃんになった気分です。1歳違いですが、子供みたいでかわいいです。シングル曲「メロンジュース」で選抜入り。自主練習をして頑張ってはいましたが、すぐには信じられませんでした。だけど、選抜の活動はいい経験になりました。色々な撮影や取材、歌番組に出演の機会をいただきました。カメラをどう見たらいいかも学びました。さっしーさん(指原莉乃)は「コンサートでは後ろのお客さんにも喜んでもらえるように、視線を配ったほうがいいよ」と教えてくれました。 
(在好的意義上,每位二期生也光芒四射,大家都是邊競爭邊練習,所以很快就有所成長。當三期生的奈子和美久加入時就覺得自己變成一位姐姐了,雖然只相差1歲,但她們就好像孩子一樣很可愛呢。我在第二張單曲 ♪メロンジュース 被選為選拔成員,對我來說是一次非常好的經驗,不同的攝影活動和訪問,連在歌唱節目的出場機會也增加了,從中可以學到如何看向攝影機。指原也在那時候教我要顧慮到後方客人,說「如果在演唱會上望向他們的話會很高興」。)

 キャラ作りは試行錯誤しました。みかんが好きなので、最初はみかんキャラをアピールしましたが、実は先輩の田中菜津美さんがみかんキャラで「なつ みかん」と呼ばれていると知りませんでした。キャラがかぶってしまって、どうすればいいか、よくわからなくなって。リンゴが好き、バナナが好きと迷走した 時期もありました。だけど、やはり好きなのはみかん、と思いました。そうしたら菜津美さんが声をかけてくれて、一緒に「みかん姉妹」として活動することに なりました。りこぴにもらったみかんの本を参考に、みかんの皮で動物をつくり、握手会のレーンにあるテーブルに置いています。
(我在為自己的角色定位時犯錯了,因為我很喜歡蜜柑,就想用它來表現自己,但不知道原來跟一期生的田中菜津美重疊了。到底應該怎樣做才好呢?曾經也打算轉做蘋果或者香蕉,但我真正喜歡的始終還是蜜柑。之後菜津美建議我跟她組成「蜜柑姊妹」一起活動,而理子也送給我一本有關蜜柑藝術的書作參考,用蜜柑皮做成各式各樣的動物放到握手會的枱上給大家欣賞。)

 みかんのほかに「おにぎり」と呼ばれています。HKT48の九州ツアーでさっしーさんから「顔がおにぎりに似ている」と言われたのがきっかけ。確かにシャープな顔立ちではありません。ツアーのファイナルではおにぎりのかぶりものをしました。MCで、さっしーさんに「ブスおにぎり」と突っ込まれた私は「シンプルブス」と返しました。コンサートでは、「恋するフォーチュンクッキー」 の前奏でさっしーさんが「おにぎり♪ おにぎり♪」とコールをするときに、私が飛び出して、センターの位置を奪ったこともあります。楽しかったです。「あ きよし♪ あきよし♪」とコールしてくれたこともあります。さっしーさんはかわいがってくれていますし、おにぎりもおしいしいし、「いいかな」と思えるよ うになりました。 
(除了蜜柑之外,我還被人叫作「飯糰」。契機是在HKT48的九州巡演中,指原說我的臉型很像飯糰。而在最後一場的巡演中,我戴著飯糰形狀的頭套表演了,MC的時候被指原吐糟是「飯糰醜女」,於是我也不客氣地回應了一句「單調醜女」。 在演唱會上,每當 ♪恋するフォーチュンクッキー 的前奏響起的時候,指原都會帶起「飯糰!」「飯糰!」的Call,我就跑到Center的位置,非常有趣。有時候也會是「秋吉!」「秋吉!」的Call。指原說我的飯糰形象不但可愛,而且真正的飯糰還很好吃,令我漸漸覺得這條路也不算太差呢。)

 かわいがってくれる先輩や親しくしてくれるメンバー、応援してくれるファンの方、家族、学校の先生たち……。まわりにいる人たちのおかげで、今をすごせています。恩返ししたい人がたくさんいます。一番、恩返しをしたいのは小学生のときの習字の先生です。60歳くらいの女の先生でした。生徒が来る前に道具を用意して、部屋を温かくして待っていました。いつも笑顔でほめて下さいました。「上手ね」って。そのおかげで自信がつき、上達しました。「絵も描いていいよ」と絵の具も用意してくれました。習字やお絵かきで教室は楽しい雰囲気でした。教室にはいつもお菓子があって、ジュースが欲し いと誰かが言うと、先生がわざわざ買いに行かれました。寒い夜、母のお迎えを待っているときに「寒いでしょ」とギュッと抱きしめられて、優しさを感じまし た。HKT48に入って、教室をやめるときも、笑顔で「いつでも遊びに来ていいよ」。
(成員們,粉絲們,家人,學校的老師....正因為有身邊的人支持才能走到今天。想報答的人數之不盡, 而最想最想報答的人是小學教練字的老師。她是一位60歲左右的女老師,總會在學生來之前做好所有準備等待我們,還經常掛著一副溫柔的笑容稱讚我。託她的福,我變得愈來愈有自信,亦做得愈來愈好。有時候更會準備畫具讓我們畫畫,大家就在輕鬆的氣氛下自由發揮。教室裡一直都放有糖果,如果有誰說想喝果汁的話,老師還會特意去買回來。那種溫暖的感覺就好像在寒夜之中被母親緊緊地抱著一樣。即使我加入了HKT48,不得不缺課的時候都會笑著說「歡迎隨時回來玩」。)

 その後、病気で入院していると聞いて、生徒たちで手紙を書いて送りました。「お世話になりました。早く元気になってください――」。渡してくれた 近所の人の話では、先生は手紙を読んで泣いていたそうです。しばらくして、公演が終わって帰宅したときに、先生が亡くなられたと母から聞かされました。 ショックで泣きました。治ると思っていたので。もっとお話しておきたかった。もう会えないけど、先生のような優しい人になることで恩返ししよう。そして後悔が残らないように出会った人との時間を大切にして、もっとたくさんお話をしたいと思うようになりました。 
(自此之後,老師因為生病而入院,學生們寫了一封信祝她早日康復。老師讀完信之後感動落淚了。有一天公演結束後回家,從母親口中得知老師的死訊,當時受到很大打擊,一直以為會病好的,怎料突然就離開了我,再也不能跟她說話了。雖然不能再見面,但我因此立志要成為好像老師一樣溫柔的人,珍惜與每一個人相處的時間,盡可能地說很多很多話,不留下一點遺憾。)
 
  一日一善を心がけています。以前、ファンの方が「一日一善するといいよ」と教えて下さいました。四字熟語辞典で調べると、すごくいい言葉でした。最近、知らないおばあちゃんに道を教えて喜ばれました。ぴーちゃん(駒田京伽〈ひろか〉)が眠っていたので、服をかけてあげました。
(日行一善是我銘記於心的一句說話。以前有一位粉絲跟我說「日行一善是好事喔」,於是去查一查成語字典,發現真是非常好的說話。最近,我會為陌生的老太太帶路,P醬(駒田京伽)睡著的時候也會為她蓋上衣服。)

 お世話になっている人には素直に感謝の気持ちを伝えたい。私は文章では時間をかけて整理して伝えられるのですが、顔を合わせると上手に話ができません。「ありがとうございます」だけではなく「いつも支えて下さって本当に感謝しています」と言えるようにしたいです。
(我想當面感謝一直支持我的人,儘管我可以花時間慢慢寫在紙上表達清楚,但當面對面的時候就不能流暢地說話了。我希望能夠傳達的不只是「謝謝」,而是「從心底裡感激一直以來的支持」。)

提到恩師時,不禁落淚。
  偶像因粉絲而生,每位偶像不曾忘記粉絲無時無刻的支持,秋吉把對恩師的思念化成日行一善的精神,比以前更加珍惜與人見面的時間。

   記得我高中的時候,生物科的老師每星期早上都會帶學生長跑,一直以來一絲不苟地維持著健康的生活習慣。但就在臨近公開試之際,那位老師突然病倒在床,一卧不起,後來經檢查後發現原來課室的天花版因上層長期漏水做成潮濕生出臭霉菌,那些菌類走到呼吸系統增生做成感染。我們決定以全班考取佳績作為老師早日康復的良藥,共同奮鬥。儘管大家最後能夠取得理想的成績,老師的病情卻一天比一天惡化終於在我大學入學後一個月與世長辭。大家都沒有想到離別來得這樣突然,以為明天還能夠見到的人,也許不會再見。

  秋吉還是中一的時候就遭遇同樣的事情,她比其他人更早面對,所以她比其他人成熟。如果現在再重溫一次755的「求婚事件」(文章: 認真就贏了? 看看秋吉怎樣拒絕求婚 ) 的話,就會覺得這樣的回答才是真正的秋吉優花吧。她在訪問影片中也有提到這件事,她為那位求婚的粉絲擔心,因為他沒有經過周詳的考慮,所以作為偶像不得不嚴正地拒絕。


  個性(Personality)的消費是現代偶像的特徵,我們除了追隨偶像的外在(利用媒體傳播的歌舞表演),還會關心她們的內在,這種深化增加了偶像的多樣性,正如香月孝史所形容的「紀錄片式真人騷」(ドキュメンタリー性/リアリティショー)一樣,每位女孩都有不同的故事,我們則擔當著共享和延續它的角色。

  這次的AKB人生論,我重新認識了秋吉優花,她的感恩精神和對日行一善的堅持值得學習!

---------------------------------------------------------------------------------------------------

ver 1.02

參考和延伸:

 (AKB的人生論)秋吉優花 自信くれた先生 優しさで恩返し
http://digital.asahi.com/articles/ASH2K5WV9H2KUCVL01Y.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH2K5WV9H2KUCVL01Y

  755     秋吉優花 (HKT48) のトーク:
http://7gogo.jp/lp/z-lv4h8GBS1WkVIvojdMdG==/68
 
  香月孝史 『アイドルの読み方 混乱する「語り」を問う』 青弓社 (2014)

沒有留言:

張貼留言